第二次世界大戦後、民主主義の改革が推し進められ、1946年2月に「部落解放全国委員会(現部落解放同盟)が結成されました。部落の現実は、劣悪な環境のまま、行政からも放置されていました。1951年オール・ロマンス事件などをきっかけに、全国で差別糾弾闘争が展開されました。1950年後半に各マスコミが問題をとりあげ、野党を始め与党など各政党も部落差別に向けた党の基本政策を発表しました。1965年、国の答申としては画期的と評される「同和対策審議会答申」が出され、そのなかで、部落問題の解決を「国の責務であり、同時に国民的課題」と位置づけられました。これに基づいて69年に「同和対策事業特別措置法」が制定されました。
1979年8月、アメリカ・プリンストンで行われた「第3回世界宗教者平和会議(WCRPⅢ)」の作業部会が「日本の部落民や、インドのアンタッチャブルの人々の苦境に深い懸念を持つ」と報告書に記したところ、日本のある仏教教団の責任者が「日本には部落差別はない」「部落差別ということを理由に、何か騒ごうとしている人達がいるだけだ」と発言し、「報告書」からの削除を要求し、実際に削除された「世界宗教者平和会議発言事件」が起こりました。この事件に対し日本の多くの宗教教団が部落差別を反省し、「『同和問題』にとりくむ宗教教団連帯会議」が結成されました。
現在は、2002年3月に「地域改善対策特別事業に係わる国の財政上の特別措置に関わる法律」は期限切れとなり、部落差別問題はもう存在しないかのような風潮もうまれています。ハード面は一定の成果をみました。しかしたとえばインターネット上の差別落書きや「ねたみ」意識による酷い行為、結婚差別や就職差別が問題となり、まだまだ部落差別は根深くあります。
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